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オーストラリアに移住することにしたきっかけ

Updated: Mar 12, 2021


2005年、私と夫はロンドンに住んでいたのですが、その年の7月に公共交通機関で同時多発テロが起きまして、隣のフラットに住んでいたフランス人の男の子が通勤途中の電車の中で爆発に巻き込まれて亡くなってしまったんです。

それ以来電車やバスに乗るのも怖くなってしまったし「どこか違う国に行きたいね」って話になって、私は「南の島でのんびりしたい」、夫は「地球上でフランスから一番遠い国に行きたい」ということで、2006年にワーキングホリデーでオーストラリアにやって来たのです。

その後、夫が働いているレストランからスポンサーしてもらって4年間のビジネスビザを取得しました。2008年に息子が生まれて楽しく暮らしていたのですが、夫がもう一度どこか別の国で暮らしてみたいと言うので、ビジネスビザが切れると同時にオーストラリアを離れることに決めました。

夫はまだ20代だったし、息子も就学前だったので、国をまたいで引っ越すのはこれが最後のチャンスになるだろうと、一旦フランスへ戻りました。


夫はシンガポールや香港を狙って就職活動をしていたのですが、結局めぼしいところは見つからず、パリのアラン・デュカスのレストランで働くことに決まりました。

夫の父親が定年退職間近で、「退職したらベビーシッターする」と言ってくれていたので、私もパリの日系書店へフルタイム勤務で働き始めました。


夫の両親の実家はパリ市内まで30分くらいの場所にあるのですが、車がないと駅まで行けない距離なので、市内の短期アパートを借りて住んでいました。

パリで賃貸物件を探すのは本当に大変で、保証人(夫の両親)の保証人は誰か聞かれたりしました。不動産会社を通したアパートは見つけられず、友達がいない間や、日本人が一時帰国している間に使っていないアパートを借りたりしました。

あてにしていた夫の父親は定年退職せず働き続けることになったので、ベビーシッターを雇ったのですが、私も夫も最低時給しかもらえず、パリのアパートの賃貸料は高いし、ベビーシッター代を払うのも大変でした。


夫は朝から夜中まで毎日仕事で、週70時間くらい働いていたと思います。

私は朝泣き叫ぶ息子をベビーシッターさんにお願いして仕事に行き、仕事が終わったら大急ぎで帰って夕食を食べて息子をお風呂に入れて寝かしつけて、夫の顔を見ることもなく就寝です。夫は長時間勤務のせいで夜は睡眠薬がないと眠れないようになっていました。

毎日2人でこんなに働いているのにお給料はたいしてもらえず、家族の時間もほとんどなく、どうしてフランスに帰ってきてしまったのだろうと後悔しました。

このままフランスにいても幸せじゃない!と、夫はオーストラリアで働いていたレストランに連絡を取って、またスポンサーをしてもらうことになったのです。


夫は6月からオーストラリアで勤務開始だったのですが、私はフランスの書店との労働契約が8月までありました。夫は先にオーストラリアへ行き、私と息子は2ヶ月間夫の両親の家で暮らしたのですが、これが本当に辛かった!

朝まだ息子が寝ている時間に家を出て、夫の父親に駅まで送ってもらい、仕事が終わって家に戻る頃にはもう9時近くだったので息子は寝ている時間です。夫の両親ももうベッドに入っています。

夕食は夫の両親が用意していてくれたものをいただきましたが、少ない!肉と野菜1種類などで、フランス人は大量にバゲットを食べて、食後にチーズを食べて、デザートにりんご丸々1個食べたりするのでそれでいいのかもしれませんが、日本人の私としてはご飯とおかずでお腹いっぱいにしたいのですよ。夜も遅いし朝も早いし疲れているので料理をする気力もなく、あるものを食べていましたが、2ヶ月間でガリガリに痩せました。鎖骨の下に骨が何本も見えてました。


夫はオーストラリアだし、平日息子には会えないし(夫の両親の部屋で寝ていました)、拷問かよ!休日は息子を連れて近所の公園に行ったりしましたが、それ以外にすることがない。家の近くに何もないし、両親の車はマニュアルだし左ハンドルだし運転できないから、どこへも出かけられない。


オーストラリアに戻ってこれて、幸せです。

仕事はのんびりだし、お給料はいいし、家族の時間も楽しめるし、気候は温暖だし、オーストラリア人は親切だし、いいことづくしです。


フランスで暮らして唯一良かったことは、夫の両親が「オーストラリアよりもフランスの方がいいから戻ってこい」って言わなくなったことです。











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